シンプルに考えよう。
サポーターが試合中に出来ることはただ一つだけ。選手の力になるための行動をすること。
声を出すことでもいい、サルトや頭の上の拍手でもいい、ゴール裏の躍動感を見た選手たちが、+αの力を出すことが出来たならば、そしてその+αが勝利に結びついたら、サポーターの戦いは勝利なのだ。
札幌のゴール裏はどうだろうか。
熱心に応援している人は、いま、真ん中に集結してきている。真ん中はチャンスならチャンスなりに、ピンチならばピンチなりに、必死に試合中選手を鼓舞している。その気持ちが折れることはない。
中心地以外はどうだろうか。それぞれ胸に手を当てて自分の行動を顧みて欲しい。
札幌のチャンスのとき、そしてその大きなチャンスを逃したとき、思わず「あー」というため息を漏らしていなかっただろうか。
そのため息はかならず選手に届く。ゴール裏の中心部以外のスタジアム全体からピッチに投げおろされる「ため息」。
自分が選手の立場だったら、その「ため息」の力に凹まずに、闘志を燃やすことができるかどうか想像して欲しい。1万人のため息。僕ならば勝てない。
僕らのすることは、ため息を選手に届けることではないはずだ。
「いいぞ、いまの攻撃を続ければ、かならず相手ゴールの扉は開く。もっと行こう。より強く、より速く行こう。」
そういう気持ちを選手に届けてやるコトこそが僕らのすることじゃないのか。
負けている試合。
残り時間が少なくなってきたとき、中心部以外はだんだんと声が小さくなるゴール裏。
でも、違うよね。
時間が少なくなればなるほど、
「まだ大丈夫。かならず追いつける。逆転できる。」とより大きな声で強い気持ちを選手に届けるのが僕らの役目じゃないのか。
少しでも僕の書いていることに「そうだな」と思ってくれるなら、共に闘おう。
場所なんかどこでもいい。真ん中に集結してくれれば嬉しいけど。
隣に立つ人を、前に立つ人を、もっと応援しなきゃと思わせるほど、でかい声で激しく応援して欲しい。
僕は思うのだ。どんな理由があろうとも、選手より先にあきらめた人は、サポーターとは呼べない。
いろいろな理由から、ゴール裏を離れようと思っている人もいるかもしれない。でも、明日の試合だけは、もう一度選手たちを信じて、命がけで応援してみよう。
僕らの気持ちを、”勝て”という気持ちを、今までにないほど全力でチームにぶつけてみようよ。
試合中、全力で思いのすべてをチームにぶつけた人だけが、勝利で試合が終わったときに、本当の意味で喜ぶことが出来るのだから。
みんなの力をチームのために貸して欲しい。
明日は、そんなゴール裏を、そんな札幌ドームを、みんなの力で創ろう。
ドームに集結した1万人がチームの勝利のために一丸となったとき、きっと奇跡は起こるはずだ。
1万人の力でもぎ取った勝利なんて最高じゃないですか。
僕は人の意志の力を信じています。人の意志のコトを英語では、WILLと言います。未来は人の意志が創るものだから。僕らの力で、未来を創りましょう。
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