フットボールを愛した時点で人生の半分は成功したようなものだ

 「フットボールを愛した時点で人生の半分は成功したようなものだ」
 誰が最初に言ったかは知らない。
 たしかイギリスの格言だったような気がするけど。
 
 
 僕はその言葉に心から同意できる。
 
 
 僕らには愛するチームがあり、このチームとともに歓喜の感情も、失望の感情も爆発させることが出来る。
 これだけ夢中になれるものがあることが、どれほど幸せなことだろう。
 コンサドーレ札幌がなかったとしても詰まらない人生を送っているつもりは全くない。しかし、コンサドーレ札幌があることでどれほどのプラスαがあるかはとても想像できないほどだ。
 そこで知り合いともに戦うようになった仲間たちがいて、どうしても意見やスタイルが合わないヤツらもいて。
 でもチームを思う気持ちは同じだったりする。
 そんな思いのぶつかり合いがあることも達観してしまえばきっと幸せなこと。
 チームのために必死で鼓舞する若者達。
 愛するチームのために全力で応援する至福の時間。
 
 僕らは戦っている。
 
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 いま、僕らのチームは厳しい状況に追い詰められている。
 そして僕らには二つの選択肢がある。
 
 
 あきらめるのか/あきらめないのか
 
 
 
 あきらめてしまうとそれで終わり。
 苦しいことも、悔しいことも全部終わり。
 そのかわり、自分の中に『あの時、自分はあきらめてしまった。』という後悔や負い目を残りの人生でずっと背負っていくことになる。
 コンサドーレ札幌のことを忘れてしまうまでは。
 
 
 僕はそんな人生はいやなのだ。だから最後まであがき続ける。 
 戦うのをやめた瞬間、成長もまたとまるから。
 たとえ今は駄目でも、戦い続けることで成長し続ければ、いつか強くなれるはずだ。
 
 
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 ここから先は本当にしんどい戦いになるはず。
 だから血反吐を吐いても、戦い続ける人にゴール裏の中心に集まって欲しい。
 そう、心から思う。
 勝ち馬に乗るのではなく、苦しいときに共に戦うものこそが本当のサポーターなんじゃないかな。

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