新潟時代の反町発言について書いておこう

 2003年、ジョアン・カルロス監督時代に新潟に大敗した後、反町監督が「札幌はギャンブル・サッカー」と発言したことについて、書いておこうと思う。
 
 この話の因縁は2002年に遡ります。
 
 報道に寄れば、2002年、早々と降格を決めていた札幌は来期の監督候補として、ジョアン・カルロス氏と反町康治氏のふたりをリストアップしていました。
(当時のチーム統括部長は、岡田武史氏が連れてきたあの小山氏ね。)
 当時の新潟は、このシーズンのJ2を3位で終わるわけですが、その時点ではまだ昇格の可能性が残っていたため、反町氏に続投させるか別な監督にするか決めかねていた状況でした。
 札幌としては、いち早く来期の体制を固め、再昇格を目指したいという状況だったので、結局反町氏の招聘は断念し、ジョアン・カルロス氏とともに2003年シーズンを戦うという選択をしたわけです。
 聞くところによると、反町氏は札幌の監督をすることに前向きな考えだったようです。
 新潟はJ2で3位の成績を評価して2003年も反町氏に続投させる選択をしました。
 
 
 したがって、2003年の反町氏にとって、札幌戦とは自分を選ばなかったチームとの対戦という図式になるわけです。
 負けたくないという気持ちもあったのでしょう。
 そのような状況下、ホームで札幌に逆転で大勝した時、反町氏はつい言わなくてもいいことを言ってしまったというわけです。
 
 だからといって、対戦相手のサッカーを試合後に侮辱するような発言を監督という立場の者が行って良いわけではありません。
 彼も若かったのでしょう。
(その反町発言を修正しなかった新潟の関係者も同罪でしょう。)
 
 
 その試合後、ジョアン・カルロス氏が辞任したのは周知の通り。
 
 ジョアン・カルロス氏を嫌った小倉が退団したことや、自らが招聘した外国人選手がいずれも途中退団したこと、名古屋時代にも同様のトラブルを起こしていたこと等を合わせて考えると、当時の札幌のフロントの判断が正しかったかは疑問の残るところです。
 また、新潟は反町氏に続投させてJ1昇格をつかみ取ることが出来たわけで、この辺もなにか不思議な運命の流れが交錯したんだなって感じがします。
 
 
 「あの時、違う選択をしていれば・・」という事について語り合うのもサッカーの楽しみの一つ。
 当時の事情も踏まえ、そろそろ反町発言については腹は立つけれども、もう忘れてもいいかな、と個人的には思います。
 そんなことよりも、ファイナル9。
 困難な状況からの挑戦にわくわくが止まりません。
 ミラクル・サッポロいくよ。

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