才能を有する者を育てる社会

 学問の分野でも、芸術やスポーツの分野でも、本当の才能という者は一部の人にしかない。
 その一部の者だけが持っている才能をさらに磨き伸ばすために周囲が協力することはなんら不自然ではないし、むしろ健全で当然のことだと思う。
 でも、世の中にはそう考えない人たちもいるらしい。
 高野連の人たちや、学生野球連盟の人たちです。
 テレビで高野連の人の会見を見ていると、「特待生は野球によって収入を得ているから、それはプロである。(だから認められない。)」という趣旨の発言をしていました。
 わざわざコメントする必要がないほど誰が見てもおかしいと思う発言。
 背景にあるのはプロ野球界とアマチュア野球界の確執なのか?
 プロとアマの間にどういう確執があるかは僕は知らない。
 しかし、その確執に囚われすぎて、本来人がするべき正常な判断や思考が出来なくなっている姿を外部に晒しているのは醜悪であることはわかる。
 人の有する才能は決して平等でない。才能を有する人間に投資し、その結果、社会がその才能を享受できるのであれば、社会全体がより豊かになるだろう。
 高野連が独自の価値観や使命感により、反社会的な規制をするのであれば、もはや存在価値はない。
 悪い意味の原理主義や悪平等に染まった今の高野連の人たちはすでに当事者能力を喪失していると思う。
 今すぐ解体し、きちんと再生させるべきだと思う。

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