その場にいることが出来なかった悔しさ

 愛媛戦。
 テレビの画面の向こう側で行われていく犯罪的なジャッジ。
 訳のわからない審判にゲームを壊されていく。
 僕は、その場にいることが出来なかったことにどうしようもない悔しさを感じた。同じ気持ちを感じた人も大勢いるだろう。
 仮に僕らがその場にいたとしても、あの犯罪的な審判の行為を止めることは出来なかったかも知れない。
 でも、あんな審判から僕らのチームを守るために何かしたかったし、せめて僕らのチームのために、あの犯罪的な審判に異を唱えることだけでもしてやりたかった。
 その場にいられなかったことがとても悔しかったのだ。
 しかし、明日のスタジアムは僕らの厚別。
 そんな悔しさは明日は微塵も感じる必要がない。
 みんな感じたよね。水曜日の夜の怒りや屈辱を。
 僕らにとって聖なるあの場所で、愛媛戦のようなことを許すわけにはいかない。
 だから、明日はその怒りや屈辱を応援という形で爆発させよう。
 僕らの怒りを爆発させるエネルギーになるのなら、あの水曜日にもほんの少しの意味を持たせることが出来るかも知れない。
 そうだろう?

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