アジア枠4.5は多すぎるのか。

 最近、ちまたでアジア枠4.5は多すぎる等の議論が見られる。
主な論調を読んでいると、ワールドカップへの出場は容易であり、そのことにより、日本協会の日本代表に対する強化が思うように進んでいないのではないか。たとえば、ジーコのようにあまり有能とは思えない代表監督の起用が継続するのはワールドカップへの出場が容易すぎることに起因するのではないか・・・というものである。
 果たして本当にそうなのだろうか。僕はこの論調に異を唱えたい。
 98年、フランス。初めて出場したワールドカップは、1勝が目標であった。指揮を執った岡田武史は1勝1分け1敗でグループリーグ突破を目指した。日本代表は3戦3敗と惨敗であったが、当時の日本国民は本戦に出場できたことで満足したものが多かったのではないか。
 02年日本。グループリーグ突破が至上命題であったこの大会、日本はベルギーとは引き分け、ロシア、チュニジアに勝利し、目標を達成した。
 しかし、トルコに敗れ、我々は突然気がついた。もっと高いところまでいけたのではないか。そのことを求めることを忘れていたのではないか。勝ち進む隣国を横目に寂しい気持ちになっていたのは僕だけではないはずだ。
 次に迎える06年。我々は何を目指すのか。
 当然ながら、グループリーグ突破は当たり前、前回以上のベスト16入りは最低ライン。当然その上を目指すはずだ。そして、本当は優勝を目指さなければならない。優勝を目指さない国民に支えられた代表チームがワールドカップで優勝できるはずもないからだ。
 94年アメリカ大会において4回目のワールドカップ優勝を果たしたブラジル国民は、その代表チームが(優勝したのにも関わらず)守備的すぎるといって批判したという。我々は上を目指さなければならない。我々のメンタリティがブラジル国民のメンタリティを超えることなしに、どうしてブラジルに勝てるだろうか。
 北朝鮮戦での勝利の後、自分たちの喜びがあまりに薄いことに気がついた人も多いと思う。我々は、もはや予選突破では喜ぶことは出来ない。日本代表を支える我々のメンタリティは変化している。だからこそ堂々と求めようではないか。ワールドカップでの優勝を。優勝しても満足しなかったブラジル国民に追いつけるように。そして追い抜けるように。
 協会にプレッシャーをかけるのは、アジア枠の狭さではない。それは勝利を希求する我々の役目なのだ。
 我々の代表は我々から出ているのだ。我々が高まることで、より高きところまで代表は到達できる。そういうメンタリティを我々が持とうとしたときに、アジア枠の広さ・狭さは関係ないはず。
アジア予選なんか関係ない。日本代表はドイツ本大会で優勝せよ。
 そういうメンタリティを我々みんなが持とうではないか。そしてそのことが協会に対して、真剣なプレッシャーになると僕は思う。

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