国を愛する心

 札幌(というか小樽)出身の女性精神科医が、サッカー日本代表を一生懸命応援するサポーターたちプチナショナリズム症候群と批判したのは数年前。
 彼女のまったく的外れの批判には失笑を禁じえない。
 自分の父母や先祖を愛し、家族を愛し、暮らしの舞台である地域を愛する。そういう感覚のない人たちをどうして信用できるだろう。
 そういう人として自然な気持ちをもった人たちがサッカーを応援しているように僕には見える。それは企業名を冠することなく、地域を背負って戦ってきたJリーグの理念の勝利なのだと思う。
 その延長が日本代表。
 そういう感覚(愛郷心の延長)をプチナショナリズムと批判する女性精神科医は、看板を下ろしたほうがいい。
 愛郷心(patriotism)のない人間は僕だけでなく、世界中のどこへ行っても信用されない。藤原正彦氏の「国家の品格」の中でも書かれてかかれていたが、それはあたりまえのこと。
 地元のサッカーチームを応援することも、マナーやルールを守ることも、その根源は僕の場合は、愛郷心から出てくる。
 逆に平気で人ごみの中でタバコを吸う人とか、街や他人の土地にごみを捨てるような人は、どんなに優秀でも僕は信用できない。地下鉄の中で化粧する女性、飲み食いする大人、公共心の壊れた人たちは、愛郷心も壊れているんだろうな、と思う。
 いま政府は教育基本法の改正にむけて動いている。僕は必要なことであると思う。
 国を愛する・・・といえば、すぐに愛国心という色のついた言葉を引っ張り出して批判したがる人たちがいる。
 でも、僕はそういう人たちを信用しない。そういう人たちは、日本をばらばらにして、どこの国に行くつもりなんだろう。
 有識者と呼ばれる世間知らずの人たちが何をどう発言しているか、注意深く見ていこうと思う今日この頃なのです。

「国を愛する心」への2件のフィードバック

  1. 自虐と謙虚,主張と傲慢,ばらまきと思いやり.
    これらの区別がついていない人が多すぎますね.
    全ては己のプライド次第.
    自分のプライドを問えば,責任ある態度が自ずと出てきます.
    スタンドでぶつける“札幌の誇り”と代表戦に胸を熱くする気持ちは決して無縁ではないはず.自分の源流を深く思えば,一つの湧き水にたどり着きます.そうやって築いた確固たる自己が,プライドを語る権利を持つのであり,そうやって初めて他文化圏の人たちとも堂々と親交を深める事が出来ます.
    海外の方と話をしていれば判るのですが,自国の文化や歴史を語れないヤツは軽蔑されます.他チームのサポーターと話をしていても自分のチームの特徴を知らないと軽く観られるのと一緒です.
    生きることは,誇り探しでもあります.

  2. 番台番さん、まったく同感です。
    同感過ぎてどうコメントつけていいかわからないほどです(笑)
    昨日の勝利はすばらしかったですね^^

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