なんと説得力のある言葉だろう

 「自分の命を取られることを初めて実感したときに、自分の犯した罪の重さを知る。それこそ死刑という刑罰の意味だと思う」---本村洋さん
 重い。実に重い。
 今回の被告の弁護人安田好弘らが、どんな主張を述べても、木村洋さんの言葉の1/100の説得力もないと思うのは僕だけだろうか。
 今回の決定を聞いたときに、高裁、最高裁と、また裁判に時間がかかるのかと思い、がっかりしました。しかし、本村洋氏の言葉を噛みしめたとき、この決定には深い意味があるなと感じたのです。
 被告人福田孝行は、これから死刑判決が出るまでの間、自らの死に怯えることで、逆説的に命の尊さを知るのです。そしてそのことにより人間に戻って死んでいく。それが今回の差し戻しの意味なのだと思うからです。
 それは、無反省に、あるいは逆恨みしながら、一生生かされていく終身刑や、十数年で仮釈放される無期懲役に比べ、実に人間的で意味のあることだと思うのです。
 11ヶ月の赤ん坊を床に投げつけて殺すような人物に、死刑以外の判決はあり得ません。
 ところで、弁護士の使命とは、被告の弁護をし、被告の有利になるように取りはからうだけではないはずです。その真の使命は、弁護活動を通じ、真実を明らかにするとともに、社会正義を実現することだと僕は思っています。
 弁護士法の第1条にもこうあります。
(弁護士の使命)
第一条 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない
 安田らの法定戦術、上告審口頭弁論に出席しないことで、裁判の引き延ばしをはかるような手段は、姑息極まりないと思いますし、なにより、判決が出るまでの時間を引き延ばすことによって、福田の生命をある程度伸ばすことが出来たとしても、それは「社会正義の実現」ではないはずです。
 それは単なる弁護人の自己満足に過ぎないと僕は思うのです。
 最高裁は「殺意がなかった」との弁護側主張をあっさり退けています。殺意がなかったわけがありません。
 安田らは、自らの死刑廃止論に固執するあまり、人間としての感性すら喪失しているのではないでしょうか。
 それでも、安田らの存在には逆説的な意味があると僕は思います。死刑廃止論や死刑廃止論者は、彼らの存在によって、社会から胡散臭いものとして扱われることになり、徐々に世の中から消えていくことになるからです。
 彼らは死刑の廃止を目指していますが、彼らの存在により、それは達成されません。人権派弁護士という言葉は、いつのころからかマイナスのイメージを伴う言葉になりました。
 罪を犯せば罰が与えられる。人の命を身勝手に奪った人間の命は奪われる。それでなくて、どうして社会秩序が維持できるのでしょうか。
 殺さないことで、野獣を野獣のまま死なせていくよりも、人に戻してやり、死なせてやる死刑制度の方が、よほど人間的です。
 僕は、表面的なヒューマニズムに毒された死刑廃止国家ではなく、この日本という国に生まれて本当に良かったなと思ったのです。また、日本が少し好きになりました。
 本村氏のこれまでの活動と、今回の最高裁の決定に、心から拍手を送りたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA