小学1年生の児童を自分の欲望のために殺したペルー人ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ。
死刑で良いよ。死刑で。
遺族の人たちは、母国で2度も児童に対する犯罪を起こし、さらに、日本に不法入国し、同様の犯罪を犯し、さらに命まで奪った様な男の命を、自分たちの愛する娘の命よりも大切に考える日本の司法に絶望したことだろう。
ホセ・マヌエル・トレス・ヤギだけでなく、広島地裁の岩倉広修裁判長もまた、遺族を苦しめている。
被害者の数が一人なら、なぜ死刑にならないのか。被害者よりも加害者の人権を尊重する岩倉。前回の光市の事件の決定(高裁差し戻し)をどう考えているのか。まったく、無能といって良い。
矯正の余地なんかない。
岩倉は死刑判決を回避するために矯正の余地はあるとしたのだろう。しかし、母国でも繰り返し犯罪を起こしている性犯罪者に矯正は無理だと思う。
ならば岩倉には、勇気を持って死刑判決を言い渡す責任があったはずだ。終身刑を望むかのような発言も欺瞞だ。彼は死刑判決を言い渡す責任を回避したのだ。
裁判が社会正義を実現できないのであれば、いったい誰が正義を実現するのか。
そもそも矯正の余地があろうがなかろうが、人の命を奪うことがどれほど重大なことか、想像するべきだ。
もしそれができないのであれば、暴論であると自覚しつつ、岩倉の愛する家族が、あいりちゃんと同じ方法で殺されてしまえばいいとすら思う。それで彼は初めて理解できるだろう。
今回の判決を出した岩倉。ひいては日本の司法。
責任を回避する判決ではなく、勇気を持って、より良い社会にするための判決を強く求める。
控訴審に期待したい。
最後に、ペルーの首都リマの日系人向けスペイン語新聞プレンサ・ニッケイのミツノリ・ヒガ記者の発言を引用しておく。
「無期懲役で刑務所を出所したら再び同じような罪を犯すのではないかと心配だ。死刑判決が妥当だったのではないか」