彼らは一体何を学んできたんだろう。
それが感想のすべて。
コンサドーレ札幌がもし市民クラブだというのであれば、市民に愛されてこその市民クラブではないのか。
心の底からコンサドーレ札幌を愛しているサポーターを2時間以上も待たせる。
それが自分らの支援者に対する行動なのだろうか。
スタジアムに居座り、クラブの説明を求めるという方法を弁護しているつもりは全くない。
しかし、今年の成績が問題だという意識がクラブにあったとするならば、あのような展開は十分予想できたはずだし、そのことを予想して対応を準備しておく必要はったのではないか。
それがサポーター目線に立って物を考えると言うことだろう。
そのために誰が窓口になるのか。
どこまでの権限をその窓口となる社員に与えるか。
どこまでサポーターの要求を聞き入れるのか。
どこに譲れない線を設定するか。
そして落としどころをどうするか。
普通の組織ならその程度のことは準備しておく。
それが組織としての当然やっておくべき危機管理なんじゃないだろうか。
サポーターがクラブの財産だと心から思っているのであれば、お金がないなりに智慧を絞って誠意を示す。
そういう姿勢が本当にクラブにあったのか?
僕にはそうは思えない。
サポーターはチームに対する愛が深いだけに、運営会社のちょっとした対応の悪さを敏感に感じ取ってしまう。
お金がないというのを、情熱を実現できないことの言い訳にしていないか。
そもそも情熱はあるのか。
みんな疑問に思っている。
北海道フットボールクラブの社員は、一度でいいからレラカムイの試合へお客さんとして行ってみればいい。
そこで感じるのは、まずファンタジアの社員一人一人の水準の高さ。
会社としてお客さんに喜んでもらおうというホスピタリティの差を感じる。少なくても僕は感じた。
そのあたりの「熱意の欠乏」が現在の野球チームとコンサドーレ札幌の差をつくりだした原因にもなったと思う。
あの東京の不人気球団だった野球チームが札幌に来てやったことは決してほめられることではないと思うけども、しかし、札幌の地が背水の陣なんだという意気込みやハングリー精神はあったと思うし、そのことはもっと評価するべきだし、クラブとしても学ぶべきなんじゃないだろうか。
前社長がサッカーに興味がなかったのは端から見ていてもわかった。
そんなトップの存在が選手たちの愛情のなさにつながり、そのことがサポーターに対する誠意のなさにつながった。
報道が味方になってくれないのも、スポンサーの獲得がうまくいかないのも、そういう気持ちが欠けていることが原因ではないのか。
みんな人なのだ。
心があるのだ。
頑張りや誠意は通じるし、その逆もまた通じてしまう。
だから矢萩社長には情熱や愛情を第一に求めたい。この難局を受けとめ、全社一丸火の玉となって前に進めるか。
今、その覚悟を問われているんだと思う。
あの日の第5ゲート、社長とGMがサポーターの前に立っているのに他の社員はどこで何をしていたのだろうか。体を張ってでもトップを守ろうとその場にいた社員は一人だけだった。
覚悟がない者はいますぐ社を去るべきだろう。
こんばんは。
自分もその気持ちに同意ですね。
自分もうまく表現できないんですが、
運営会社が「お金がないこと」を最初から想定して、
変に胡坐をかいているようにしか思えません。
「お金がない」なら、少しづつでも増やすように、
会社を大きく出来るようにしないといけませんが、
「お金がないから、サポーターの情熱が大事です。」
「お金がないから、入場料収入が大事です。」
・・・と、お金が少ないことの原因を全く検めずに、
サポーターの情熱などを引き合いに出してくる。
もちろんサッカーにはサポーターも大事ですが、
その前に運営会社(企業)がしっかりしないと、
どうにもなりません。
きっと、近々あっさり人気が抜かれますよ。
レラカムイにもエスポラーダにも。
危機感感じているんでしょうか?>社員
クラブからは情熱や熱意といった類のものをあまり感じないんですよ。その最大の原因はやはり前社長がサッカーに興味を持っていない人だったことだと思うんです。
クラブを強くしたいからスポンサーを見つけてくるというのは、営業部の戦いでしょうし、クラブを強くしたいから報道とも良い関係を築き、クラブの露出をはかるというのは広報部の戦いでしょう。
サポーターにとって快適な観戦環境をつくるのは運営部の戦い。
強くなるために戦うのは強化部だけではないのに、強化部意外の戦いが見えてこない。
その強化部だって、クラブのビジョンを昨年語った三上さんは、呼ばれていなくてもあの場に来るべきだったと思いますし。
なんつーか、戦って欲しいんですよね。
そのためにはやはりトップの姿勢だと思うのです。
矢萩さんには期待して居るんだけどなあ。