鹿島戦にて

 試合終了の瞬間から優勝の歓喜に揺れる鹿島ゴール裏をずっと凝視していた。
 札幌のサポーターとして、この悔しさを自分たちがJ1で優勝するまで、目に焼き付けて決して忘れてはならないと思ったから。
 しかし。
 あのとき、あの空間を共有した人たちの中に、あのどうしようもない悔しさを強く胸に刻み込んだ人はどれだけいたのか。
 断言しても良い。
 「いつの日か、俺たちも」という強い向上心がなければコンサドーレ札幌が強くなることはけっしてない。
 鹿島の優勝を讃え、拍手をした人たち。
 観客の行動としてはまことに正しい。
 でも、僕らが選手たちと共に戦うサポーターであるならば、少なくともあの悔しさを血反吐を吐くほども胸に刻みつける必要がある。
 その上で鹿島を讃える選択をしたのならば理解できる。
 けれども、あそこにいた人の大半には、そういう決意のようなものは感じなかった。
 あまり考えることなく、「こういうときには拍手かな?」という程度の行動。
 まさに道民気質。戦うことにも競うことにもなれていない道民気質。
 あえて聞きたい。
 理解しているのか?
 戦いに敗れたのはピッチの上の彼らではなく僕ら自身だってことを。
 コンサドーレ札幌の敗北が象徴しているのは北海道自体の力のなさだと言うことを。
 
 試合中、選手と共に戦ったのか?
 応援も中途半端。悔しさも中途半端。
 行動も中途半端。
 「○○がこうだから。」
 自分の行動には言い訳。
 言い訳している場合じゃないんだって。
 なぜもっと熱く応援し、なぜもっと行動しないのだろう。
 何人かの人と話をしたけれども、ゴール裏中心部のメンバーは等しく絶望していた。
 僕も同じく絶望した。
 もう少し本気にならないと。
 このままでは、ゴール裏は決定的に分裂してしまう。
 そしてその原因を真ん中にだけに求めるのであれば、札幌のゴール裏に未来はないと思う。

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