ブーイング考

 室蘭にて。
 試合後に一部のお客さんからブーイングがでました。試合中の応援ぶりは、極めてお寒いあの辺のブロックが一番熱心にブーイングしていました。実に奇妙で滑稽な光景です。
 柳下監督や選手やOBが、「ふがいない試合をしたときには、選手に厳しく接してくれ」というのを伝え聞く機会があります。たしか数ヶ月前の月刊コンサドーレあたりの柳下監督インタビューにも書いてあったような気がしますけども。
 彼らは、そのメッセージの上っ面の文字だけを読んで、自分たちの行動が正しいと思っているのでしょう。
 でもね、監督のメッセージの行間に当たり前すぎて書いていない文字があることに気がつきませんか?
 ”一生懸命応援しているのに”、と。
 戦いだからさ。相手のある事だからさ、どんなにがんばっても勝てないこともあります。
 だからこそ、少しでも勝てる確率を高めるため、選手は練習する。監督も、コーチも、マネージャーも、HFCスタッフも、それぞれの立場でがんばっている。
 もし、サポーターがコンサドーレ札幌の一部であるならば、当然、サポーターも頑張る必要がある。
 チームの経営の都合からか、リップサービスとして、お客さんも含めてサポーターと呼称される場合がありますが、やはり狭い意味でサポーターと呼べるのは、チームと共に戦う人です。
 選手とともに戦い、スタジアムの雰囲気をつくり、相手選手や相手サポーターを萎縮させ、すこしでも自チームの勝利の可能性を高くするため、サポーターは戦います。
 だから、たぶん、選手たちや監督がコンサドーレ札幌であるように、ゴール裏中央部は自分たちも”コンサドーレ札幌”なんだと思っています。(少なくても僕はそう思っています。)
 勝てなかった時には、選手だけでなく、自分たちの応援が十分でなかったか?と考えています。
 そして次の試合にチームを勝たせるために、もっともっといい応援をしようとします。
 周辺部で試合後にブーイングしている人も、コンサドーレ札幌を
たぶん愛しているんでしょうし、コンサドーレ札幌に強くなってもらいたいと思っているんでしょう。室蘭まで来るほどなのですから。
 でも、彼らは見ての通り、試合中、全然熱心に応援していません。
 むろん僕だって、時には厳しい言葉を投げかけた方がいいという理屈は理解できます。
 でもね! 
 試合後にブーイングするならば、試合中にも周りを納得させるくらい応援することが必要なんじゃないでしょうかね?
 選手が戦いやすい環境をつくり、勝利の可能性を少しでも増やしてやる。
 必死に応援して、圧倒的な雰囲気をつくってやって、その上でふがいない結果しか出せなかったのであれば、試合後にブーイングする。
それが人としての筋ってものでしょ?
 そういう筋を通していない、試合中にやるべきことをやっていないのに、試合後にブーイングだけするから、あのブーイングは支払ったチケット代に見合う満足感を得られなかったことに対するものなんだろうなあと、思わざるを得ません。
 それは、サポーターのメンタリティではなく、娯楽をお金で買っている”お客さん”のメンタリティであると、思います。
 僕は、真ん中も、不甲斐ない試合をしたときには、選手にブーイングした方がいいかもしれないと思い始めています。でも、あれだけ必死に応援し、試合後に言葉を失うまで疲労困憊している様は、安っぽいブーイングよりも遙かに雄弁でないでしょうかねえ。
 ブーイングした人たちが、「プロならば勝て」と自らの不満を表したように、僕は同じように彼らに対し不満を表明します。
 「サポーターならば、まず戦え!」と。
 戦っていないサポーターが結果を出せない選手にブーイングする光景・・・・あまりにも滑稽すぎますよね。
 というわけで、こちらのブログに賛同の意を表するものです。

「ブーイング考」への3件のフィードバック

  1. こんにちは拝田です。
    昨日は乙でした。
    さすがに今日は体中痛いし、声も出ません。(苦笑)
    今回のエントリーは毎度毎度のことですね残念ながら。
    ブーイングの時が一番元気がいいっていうのは・・・
    ふぅ・・・

  2. どもです。
    ブーイングそのものは悪くないと思うんですよ。
    もし,「サポーターならば」全力で戦った後ブーイングしてほしいんですよね。
    最後のブーイングの声が一番大きいってことは試合中もっと応援できたはずなのですから。
    何回か「金を払っているんだからブーイングも当然」というコメントを見たことがありますからーー;
    それって「お客さん」って事ですよね?

  3. こんばんわ.番台番と申します.
    土曜日はゴール裏にいました.試合後の拍手もブーイングも起こらない虚脱した空気がゴール裏の全てでした.
    本来は選手達を鼓舞するためにコールしているのですが,ボールを奪われたり,押し込まれているときには,声が萎みがちな仲間であるサポーターに向けて「おら!まだ終わってねぇだろうが!」ってな気持ちで殊更声を上げていました.
    だからこそ,試合後は虚脱していましたよ.昨日ようやく録画の試合を観てどんな試合だったかを理解しました.今から思えばゴール裏で歌っているときは,目をつぶっていた時間が随分あったような・・・・
    ま,我々も正念場ですな.もっと大きな声を出しましょう.ファイターズの開幕戦の様子をみて,満員なのは羨ましいけども,あそこには“サポーター”はいないなと感じました.コンサドーレの試合を観にくる人の中にも“ファン”が結構いるんでしょうな.彼らの中から一人でも我々の罹っている“熱病”にうなされる人が増えるといいなと夢想してやみません.

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