報道機関としての存在意義が問われている

 やってしまったことは仕方がない。
 報道機関だって過ちを犯すことはあるだろう。
 しかし、問題は自ら犯したその過ちをきちんと報道できるかどうか、だと思う。
産経新聞より

道新と函館新聞が和解 和解金2億2000万円
 新聞の創刊や発行を妨害されたなどとして、函館新聞社が北海道新聞社(道新)に約12億8000万円の損害賠償を求めた訴訟は24日、道新側が和解金2億2000万円を支払うことなどを条件に東京地裁(矢尾渉裁判長)で和解した。
(中略)
 この問題では公正取引委員会が平成10年、独禁法違反(私的独占)で道新に排除勧告。道新は12年に勧告を受け入れた。
 ■函館新聞社の話「和解内容は道新が社会的に非を認めたに値する内容と理解され、受け入れを決めた」
 ■北海道新聞社の話「和解勧告は『新規参入を妨害する意図も行為もない』という当社の主張が相当程度、認められた結果と判断した。これ以上の係争継続は経営にマイナスと判断し、勧告を受け入れた」

 『新規参入を妨害する意図も行為もない』ならば、どうして2億2千万円もの和解金を函館新聞社に支払うのか、理解に苦しみます。
 社会的にも大きく注目されていたこのニュース、報道機関なら自社の問題であってもきちんと報道するはずです。自社の非をきちんと報道することでその報道は信用されると思うし。
 自分に不利なことであってもそれが真実なら報道する。それがジャーナリズムの矜持ってものだよね。
 現時点で、朝日、産経などの主な全国紙はこの件を記事にしていますが、肝心の当事者の北海道新聞社は、『まだ』記事にしていないようです。
 「自社の非は報道しない」というならば、そんな新聞社は報道とは呼べないと思うんですよね。
 このまま記事にしないようなら、僕はこの新聞社を二度と信用できません。
(追記)
 翌日の朝にWEBに記事が出たようです。ちょっと見直したかな。道新。
 でも、なぜ道新が和解金を支払うことに同意したか記事から読み取れなかったのが残念。

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