勝ちたいという気持ち

 かつてウィルという選手がいました。
 2001年、2回目のJ1を札幌が戦っていたときチームを支えたエースストライカで、J1得点王になっているウィルですが、新しいサポーターは彼のプレイを見たことがない人もいるかも知れません。
 新人王になった山瀬、エメルソンやウィルと2トップを組んだ播戸、ボランチの野々村、今野などあの時代の選手は思い出深い選手が多いのですが、特定の選手よりもチームを応援しているというスタンスの僕にとっても、ウィルは特別な選手でした。
 圧倒的なFKの決定力。フィジカルの強さ。ここぞという時の(体型に似合わない)足の速さ。身長、体重共に自分と同じという不思議な縁(?)もあり(笑)、僕にとって彼は本当にワクワクさせてくれる選手だったのです。
 ウィルは日本語はもちろん、英語もほとんど話せません。僕はウィルと話をするためにポルトガル語を勉強しようと思ったほどです。
(もちろん今も話せるようにはなっていませんが(笑))
 さて、そのウィルは、2001年の終了と共に横浜Fマリノスに強奪され、札幌を離れることになります。
 たまたま知り合いにウィルの家族と仲良くしていた人がいて、ウィルが札幌を離れる日を知ることが出来たので、仕事を休んで新千歳空港まで見送りに行きました。
 どこで知ったのか、空港にはウィルを見送るために20人くらいのサポーターが来ていました。
(HFCからは若手の職員が二人来ていただけでした。冷たい会社だなと思った記憶があります。)
 共通の言語がないので、ウィルとの会話は身振り手振り、片言の英語と日本語での会話になります。
 「ウィルが居なくなったら、コンサドーレが心配だ。」というような意味のことを言うとウィルはこんなような意味のことをいいました。
 「コンサドーレの選手は、勝ちたい気持ちがとても強い。だから自分が居なくなっても大丈夫。コンサドーレはほんとにすごい。みんなが勝ちたい気持ちで戦っている。」
 
 しかし、2002年は散々な年でした。ウィルと共に播戸が抜け、さらに野々村や名塚も抜け、勝ちたいという気持ちを押し出して戦う選手は少なくなっていきました。
 そして札幌の低迷は始まります。
 * * * * *
 柳下監督の3年間、特に1年目から2年目にかけては、選手たちが成長していくのが目に見えてわかりました。どんなに目先の結果が酷くても、僕らは未来に希望を持つことができました。
 しかし、3年目の今年はどうなんでしょうか。
 波に乗れないチーム、勝ちきれない日々が続き、いつかそれに慣れてしまったような気がします。
 昇格がなくなっても、そのことに真剣に悔しがる選手も見あたらず・・・。今野のように負けて泣くのがいいと思いませんけども、本当に悔しい思いをした選手はどれほど居たのでしょうか。
 技術的な、あるいは、戦術的な進歩ももちろん大事ですが、僕は戦う選手たちの気持ちの強さも求めています。ギリギリのところで体を張って競り勝っていくには、勝ちたい、負けたくないという闘志が必要だと思うからです。
 そういうスピリットが育たない/育てられないのであれば、いくら戦術的に巧くなっても、意味がないような気がします。
 来年の体制がどうなるかまだわかりません。柳下監督の是非も僕には到底わかりません。しかし、彼の熱意や頑固さは大好きですし、彼と共にJ1に行きたいと願っています。
 けれども、僕らサポーターと共に闘い、勝って喜び、負けて悔しがり、そういう苦楽をともにしてくれる選手、また、ピッチ上の指揮官として、監督の意志を斟酌し、表現し、また自分にも仲間にも、サポーターにも勝つことを強く求めていけるキャプテンシーを持った選手、そういう選手がいないのであれば、来期の体制がどう変わろうとなにか劇的に良い変化が産まれるとは思えません。
 監督だけに全てを求めるのは、きっと無理なんです。
 だから、監督をどのようにサポートし、監督が仕事をしやすい環境を創っていくのか。札幌に欠けているのはなんであって、それをどうやって補強していくのか、そういうビジョンをHFCや城福さんが示さなければなりません。
 単純に強化費をどうするのかとか、来期の監督をどうするのかという議論をする前に、するべきコトがあると僕は思うのです。

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